秩父幼稚園(ちちぶようちえん)、秩父市、幼稚園 幼稚園大好き!子ども大好き! 学びが遊びになっていく!

 
園長先生のブログ
 

大正14年4月1日 設立開園
大正14年4月13日 埼玉県知事の認可を受ける
創立者柴原弘道は13番の小さな住宅を開放し、幼稚園を始めました。
埼玉県内で私立幼稚園としては7年目。仏教幼稚園第1号でした。
 
 


 
   創立のねがい 理事長/柴原保教  
     
   初代園長弘道和尚さんは、横浜の小机で生まれました。5才の時エキリが流行し両親死亡、姉弟三人孤児となりそれぞれ知人にもらわれていきました。弘道和尚も2軒・3軒と他人様にあずけられ養育をうけました。何故か幼少の頃の事については生涯人に語った様子がありませんので、どのような生き方をしてきたのか全くわかりません。恐らく話をしたくないような辛い、淋しい子どもの頃だったのではないかと思います。当園創立45周年の時「わしがなぁ、幼稚園をはじめようと思ったのは、子どもの頃、何人もの養母に世話になったからなぁ、今度は人の子をわしが世話をするのだ」と初めて設立の意図をポツンと語ったものでした。大正14年4月13日知事認可を受けた当園の最初の園舎は現在ばら組が使っております。(新園舎になり、今はありません。)近代的な建物ではありませんが、そこには暖かい慈悲の光に包まれた園児が心豊かに育っていくことの願いがこめられていると思います。  
     
  秩父幼稚園初代園長 
柴原弘道師の履歴

◆出生地 神奈川県横浜市小机
◆本 籍 埼玉県秩父市
◆生年月日 明治29年3月25日
◆歿年 昭和45年12月15日
◆学歴 大正4年3月県立秩父幼稚園農林学校卒業
◆職歴 大正8年4月秩父町立大宮尋常高等
小学校代用教員を拝名
大正10年10月依願退職
大正14年4月秩父幼稚園を設立認可、園長就任し、死去するまでその任にあたる
◆公職 人事調停委員、司法保護委員
秩父仏教会長、秩父札所連合会長
◆賞罰 昭和3年11月10日曹洞宗管長より保育事業功労により表彰状受領
昭和5年11月2日秩父郡教育会より幼稚園設立により表彰状受領
昭和25年5月27日県知事より園設昭和41年11月15日幼稚園教育90年記念文部大臣より表彰
昭和45年12月15日従六位勲五等瑞宝章が贈らる
 
     
 
 
 
▲第2回修了式(浅貝ヤス先生と弘道園長)    ▲第3回修了式(谷内田いく先生と弘道園長)
 
   
 
青い目の人形ヘレンさんが来ました

(開園記念日の2月20日はこの日に由来しています)
ヘレンさん(秩父幼稚園の青い目の人形)
秩父幼稚園の青い目の人形はヘレンさんといいます。今は幼稚園ホールの正面、お釈迦様の右下に、ケースに入れられ来日歓迎会の写真とともに置いてあります。埼玉県では昭和2年当時178体の人形が配布されたそうですが、平成3年6月までに10体が確認されています。
 ヘレンさんの洋服は他にもあったそうですが、今は2種類です。ヘレンさんの歓迎会の式次第やパスポートも残っています。

青い目の人形の映画
埼玉県ではオリジナルアニメーション映画として、「−平和の使者―青い目の人形物語」を完成させました。この映画は、平成8年1月5日から、埼玉県平和資料館の講堂において、毎日定時上映しています。

青い目の人形(園のあゆみ)
 私は大正15年アメリカ生まれの人形で、ヘレンと申します。日米親善使節の一人として海を渡り、昭和2年春桜咲く日本の港横浜に着きました。そして人形のお友達15人と秩父の町や村の小学校、幼稚園に行くことになりました。何処の学校へ行くのか不安でしたが、かわいい子どもがいる秩父幼稚園と決まり、若い柴原弘道園長先生の大きな胸にしっかり抱きつきました。やさしい眼の先生でした。長旅の疲れと淋しさで、先生の濡眼に抱かれた時、とてもうれしくて涙がこみ上げてきたことが、昨日のことのように思われます。
 秩父幼稚園の歴史とともに60年(今年度で70年)、この間不幸な戦争もあり、秩父にきた人形のお友達も4人だけになり淋しいですが、元気なやさ
しいお友達に囲まれ幸せいっぱいです。

ヘレンの思い出
  私(ヘレン)がアメリカから来た昭和2年、今(昭和60年当時)のばら組の家が園舎で、園児は30名くらいでした。皆元気の良いかわいい子ども達でした。昭和3年の受け持ちは永田いく先生(ご存命)でした。当時幼稚園の先生の資格を持っている人は極く少なくて、東京師範学校や奈良師範学校に求人し、やっと奈良師範から来ていただいたのです。「右の者を秩父幼稚園に就職させるについて、月給50円を支給するように」と学校長からの依頼書が残っています。当時月謝1円でしたから、ずい分高給でした。幼児教育の先端学府卒業の優秀な先生でしたから、園長の仏教思想(人格教育)とフレーベル思想(創造教育・恩物)と、ミックスした質の高い幼児教育が展開されたようです。(昭和60年「ぼだいじゅ」より)
 
   
   
 
過ぎし日の園の環境
  昭和の初期と今とでは園舎の周囲も大部変わりました。遊戯室あたり(今の庫裡の西側)にお寺の古い庫裡があり、その間にコンクリート造りのガッチリしたスベリ台がありました。またそのわきに大きな柿の木が二本あり、スベリ台から甘い柿の実取りが出来たものでした。当時のお便所も今(昭和60年当時)のお便所の位置にあり、その横に木小屋、その裏(現在墓地)は、うっそうたる竹やぶでした。夏になると雀が何百羽と宿り、おどかすと「ボー」とすごい羽音を立てて向こうの銀杏の大木に移動しました。
  冬、雪が降ると竹がしなって裏道にトンネルが出来、雪を振るうと「ピュッ」とはね返って面白く遊んだものでした。落ち葉もあり草ぼこも一杯でしたから、かたつむりや、がまがえる、へびも時には出たものでした。夕暮れになるとこうもりが飛びかい、夜は真っ暗闇でゆうれいがでるかもしれない位不気味でした。(柴原保教)
 
     
 
ひなまつり
 
 

▲ひな祭り(昭和13年)
  昭和のはじめ頃、毎年行われた桃の節句を思い出しました。前の庫裡の一階の奥座敷に五段の雛壇を設け、その上に真っ赤な布が掛けられ、お内裏様、五人囃子、翁等いろいろなお雛様が飾られました。 私(ヘレン)も幼稚園から出張してその端に毎回おつき合いしました。お寺の奥さんが正月のお餅を1糎角位に切り、冬干ししたのをほうろくで大豆と煎って砂糖をまぶし、あられをつくりました。これを新聞紙の三角袋にいくつもつめ、雛壇の横のひもにぶらさげておきました。子どもにあげるのです。
 幼稚園児達は雛壇の前に行儀よく座ってお雛祭りをしました。
灯かりをつけましょボンボリに
お花をあげましょ桃の花
五人囃子の笛太鼓  今日は楽しい雛祭り

 歌をうたったり、お話を聞きました。おこしもとてもおいしかったです。
和やかな楽しい桃の節句の1日でした。
 
     
  園舎の移築
園舎の移り変わり(ヘレンの思い出A)
  秩父幼稚園創立当初の園舎(ばら組・昭和61年当時)が手狭になり、新園舎建築の計画がたてられたのは、私が米国から船に乗って当園に贈られた昭和2年頃であったと思います。当時お寺の生活も苦しく、又、資金が乏しく、そこで園長さんの奥さんの実家(北海道富良野町第一号開拓者)から借財し、たまたま大宮小学校校舎新築に当たって古校舎一棟の払い下げをうけ、これを移築したのが現在(昭和61年)の園舎です。この移築費の借財の返済には10年もかかったとのことです。昭和5年に落成、4月から新園舎で保育が始まりました。私も礼拝堂におしゃかさま、聖徳太子様と一緒に飾ってもらい、毎朝かわいい手をあわせての園児のお参りを見てきました。それから50数年余年日本の激動期、いまわしい戦争もあり、この園舎もいろいろな事がありました。
大宮小学校の火災により一時期小学生の教室になったり、戦時中、秩父商業学校の合宿訓練場になったこともあり、戦後は夜間、洋裁学校や珠算塾にも使われたりしました。縁のあった方は思い出が多いでしょう。
  近く園舎が改築されるとのこと、半世紀以上の間に5,000余名の幼な子が集い遊んだ思い出が、柱に廊下にしみこんでいます。私の思い出も同じです。永い間本当にご苦労様と、心からお礼を申したいと思います。
 
     
 

▲第17回修了式(昭和17年)


▲花まつり大会(昭和17年5月24日)
 
     
 
 戦争のため休園していた幼稚園が再開しました
 (昭和19年10月1日〜昭和21年3月31日まで戦争のため休園)

▲第22回修了式(左下・弘道園長、右下・田中元弘)
2代園長、左上・滝沢先生、右上・宮崎先生)

▲第24回修了生(左・木村先生、右・守屋先生)
 
     
 
 田中元弘が主事に就任、PTAが設置されました。(昭和29年5月1日)

▲第28回修了生(左上・北条友子、左下・田中元弘、右上・田中久枝、右下・柴原弘道)
 
   
  園だよりがはじまりました
(「たんぽぽ」と名をかえ、平成8年現在まで38年間続いています。弘道園長、柴原愈子園長他、職員の思いが毎月毎月こめられています)
 
     
 

▲花まつり(昭和33年)

▲第32回修了生(左・田中園長、右・長谷川昭子先生)
 
     
 
   昭和37年 講堂兼遊戯室 落成

▲礼拝(田中園長)

▲第39回修了生 (右から 田中久枝先生、
柴原愈子先生、 若林マチ子先生、坂本昌子先生、
引間幸子先生、加藤優美子先生)
 
 

 

 
 
 初代弘道園長のことば(園だよりから)
 「3月におもうこと」 初代園長 柴原弘道
 
     
    3月になると思うのです。春の訪れとともに、多くの幼な子が園生活に終わりをつげて胸をふくらませ瞳をかがやかせて、小学校へ入学して行きます。幼稚園の修了式は明るく健康的です。先生は多少感傷的になるでしょうが、幼な子らは、過去には興味・未練はさらになく将来に期待を持ち、常に前向きの姿勢で伸びて行きます。来たるものに期待と喜びをもちます。この点から修了式も明るい雰囲気になるのでしょう。
  私は園長として、過去30数年毎年幼な子らを巣立ちさせてきました。そして幼な子がらが、正しい人間、慈悲心をもつ人間として成長するよう、この月には心から祈らずはおられません。一人でも病気やけがのないように、みなが素直な心と強い意志をもって生きぬき、一人の不幸な子どももできないように更に願います。偉大な可能性をいだき、常に前途は洋々とひらけている幼な子の未来の世界です。巣立ち行く幼な子の中から、偉人傑士が生まれることは喜ばしいことではありますが、それよりみんがそれぞれの個性を生かして、立派な人間社会人として、それぞれの持ち場で明るく明るく楽しい社会の建設に、懸命に生きぬく人たちに成長してもらいたいと、念願しております。
  思い出を32年の昔にかえせば、感慨無量なるものがあります。第1回の修了生は21名で、その時の写真を見ますと、着物を着た子が多く本当に懐かしく感じます。その幼な子らはもう立派な社会人として活躍しており、2〜3人の父や母となり明るい家庭をつくられております。そしてそのこどもさんが園児として毎日元気よく通園してます。親子に二代に亙って本園の修了生という方が何人もおります。
  昭和35年は本園創立35周年に当たりますので、何らかの記念行事をいたしたいと考えてます。お祭りさわぎのもでなく、幼児教育にプラスとなり園の歴史の上にもよき1ページを加える、意義のあるものにしたいと思っております。それには本園を修了された方々(社会人として独立され活躍しておる方)のご協力を得なければならないと存じます。そこで今まで修了してしまうと園とのつながりがたたれていたのを、同窓会のようなものが生まれて、連絡をとり相互の親密をもはかり、かつ本園の発展向上にご協力頂けたならと考え、35周年を期して同窓会のような団体を是非結成したいと念願してます。
  世に言う、「幼稚園ブーム」の波にのり、秩父にも多くの幼稚園が生まれました。それぞれ特徴ある園ですが、本園は幸いにも地域社会のご支援により現在まで牛歩の歩みながら発展してまいりましたが、30余年の歴史伝統にのみ固守するのでなく、新しい幼児教育の理論とよりよき環境を作り出し、幼児らの幸運と成長をより増進して行く為に、不断の努力を続けて参りたいと存じます。どこまでも幼児を中心とした保育、見せんがためのものでなく、地についた保育であらねばならないと信じます。
  この3月末には、80余名の幼な子が巣立って行きます。園舎の床、校庭の土に、幼な子らは無数の足跡を残して去って行きますが、この足跡はこの園が存する限りのこるでしょう。園での生活を土台として更にのびゆくことでしょう。私はもうこの子らの成人した姿は見られませんが、きっと立派な人間に成長することを信じます。次の時代はもっともっと明るく住みよい社会になるでしょう。子どもを信ずるからです。
[園だより]昭和33年3月1日-10号-より
 
 
 
  昭和37年 講堂兼遊戯室建築落成
修了生有志により柴原弘道園長の銅像建立、除幕
 
     
  放送教育研究指定 2年継続研究指定
「放送教育のもたらす影響の研究」−母子同時視聴を主として−
研究発表・公開教育
 
     
  創立45周年を迎え、記念行事を行い、園歌と園旗を制定しました
同窓会設立(10月1日)
 
 
  ▲第38回修了生の同窓会〔中学1年生〕(前列左・柴原愈子、
 前列右端・田中園長、前列右から2番目加藤優美子先生)
 
   
  四十五周年記念式典 ごあいさつ
  初めに秩父幼稚園45周年記念を、皆さまともどもお祝い申し上げたいと存じます。
  秩父幼稚園は柴原弘道先生により大正14年に創立され、県下で7番目、秩父では唯一の仏教主義の園として営々辛苦幼児の保育、経営に努力され、45年間に3,000余名の修了生が巣立って行ったとのことであります。創立当初の修了生は社会の中堅として各方面で活躍され、家庭ではよき父よき母として立派に子女を養育され、その二世が父母を同じ秩父幼稚園を修了された方が数多くおられるのを見ても、園の歴史がいかに長いかを知ることができます。又、柴原園長先生のご人徳の高きは、昭和37年、修了生有志の方々の発起により、生存中に立派な銅像が建立されたことによってもうかがい知ることができます。
  秩父幼稚園は仏の慈悲の心をもとにして、まことに堅実な幼児教育を実践してこられ、その歴史には華やかさは何ひとつありませんが、幼児に命の尊さを教えてこられたことは、実に尊いことであると存じます。
  本日長い歴史と伝統をもつ秩父幼稚園の創立45周年記念式典並びに園歌・園旗発表会が、ご来賓各位・旧職員の先生方をお迎えし、修了生・存園児とその父母の皆さまが一堂に会して開催できますことを、裏心より喜ぶものであります。これも一重に秩父幼稚園に寄せるご厚情・ご援助によるものと、感謝申し上げるとともに厚くお礼申し上げます。
  これを契機として秩父幼稚園が、秩父の幼児のよりよき成長と幸福のために、さらに充実発展していくものと信じますが、今後一層のご指導ご援助を切におねがい申し上げましてごあいさつといたします。(昭和45年11月3日 秩父幼稚園PTA・同窓会会長 栗原一雄)
 
     
 
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「ヘレンさん」が、NHK「歴史への招待」にて放送、紹介されました。
 
     
 
個人立幼稚園として貢献してまいりました本園も、より高い公共性を保つために、学校法人弘道学園が設立認可されました。
創立60周年記念事業が挙行され園舎新築を発願しました。

▲紙版画

▲絵の具
 
     
  21世紀を目指して新しい鉄筋2階建て園舎を様々な方々のご協力により新築しました。
田中元弘園長が退職し、名誉園長に就任しましたが大変残念ながら間もなく他界しました。

       新しく柴原愈子が園長に就任しました。
 
     
 
70周年のふれあいの集いを在園児のお母様方と小学生を招待して和やかに行いました。

▲ふれあいの集い・小学生の作品